世界で一番かわいいこ
ついに引越を決めた。荷物の収拾がつかなくなったのだ。たまたま隣駅で分譲賃貸タイプが見つかって即決する。家賃はあがるけどそれ以上に広かったのだ。「タイミングよかったですね」と担当の女性がなあに微笑んていた。相変わらずなあは誰にでもモテる。 「わあ、サイズ制限なしでペット可だって。飼おう!」 「でも犬は昼間誰もいないと寂しがるっていうよ。猫かなあ」 ふたりともペットを飼ったことがないのでよく調べないといけない。室内飼いはなおさら。実家が田舎だったので戸建の犬飼いや半野良猫はいっぱいいたけど参考にならない。あの頃は放し散歩する家もまだ多かったのだ。さすがに今はマナーが普及したようだけど。 そういえば。
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ヤコの家で仔猫と仔犬が同時フィーバーだそうだ。 夕飯で学校の話題を出したらなあが食いついた。 「だめだよ、スーパーうちは生鮮品も総菜も扱ってるんだから。ウチじゃ飼えないよ」 何年も前にお父さんに言われた言葉を繰り返す。あのときはお兄ちゃんが慰めてくれたけど悲しかったな。 「じゃあ見るだけ! ねえ、まお、おれ見たい! お父さんいいでしょ!」 「舞生、連れて行ってやって……」 あ、こんにゃろ。なあのきらっきらした灰色の瞳とバラ色の頬にお兄ちゃんがくじけた。去年お兄ちゃんがお義姉さんと結婚して、直後からなあは躊躇なくお父さんって呼んでる。実際、なあの本当の父親は彼女の妊娠発覚後に消えちゃったロクデナシで、正真正銘お兄ちゃんが初お父さんなのだ。なのでとてもはりきってお父さんしてる。実年齢より頭が幼いなあは甘えるのがとても上手だし。
自転車でヤコの家に向かう。中3の秋になんてのんびり。誕生日にもらった自転車でなあも遅れじとついてくる。そんなに見たいかー。かわいいもんね仔猫も仔犬も。うん。あたしだって見たいよ。でもなー、見ちゃうとなー。 「まお……っ!!!」 「っっっつ、ダメ! そんな顔してもダメっっ!」 真っ黒な仔犬はパンパンでむくむく、サビと縞の仔猫はくにゃくにゃでほわほわ。あーこれは反則だー。数の暴力だー。なあは真っ赤な顔で次々抱え上げては頬ずりして笑み零す。すっごいしあわせオーラ。ヤコ凝視。そりゃこんな外国のカレンダーみたいなシーンが自分ちの庭先で繰り広げられちゃね。そんなふにゃっふにゃのなあが連れて帰ると言い出すのは鉄板で、あたしはココロを鬼にしてその要望を叩き落とす。 「言ったでしょ、食品扱うお店は衛生が大事なの! 知ってて来たでしょう!?」 「まおのいじわるぅ……」 あたしだって、家とお店は別棟なのに納得いかないよ。だけど難癖つける人はホントにいるのだ。 涙目のなあにとっくに根負けしたヤコが味方に付く。オマエー、あたしの友達でしょーが。 「ねえ舞生、ホントに1匹もダメ? 貰い手がいないと保健所行きなんだよ」 「そんなこと言われても……」 「もうご近所はムリだし、ウチもダメなんだもん……」 「なんで避妊しないの」 「あたしとお母さんはしたいんだよ、だけどお父さんが『ペットにそんな金かけるな』って……」 きまり悪げに俯くヤコにあたしも俯く。 「まお、ほけんじょってなに?」 視線を逸らしたあたしたちを見上げて、なあが首を傾げる。もう3年生の秋なのにそんなことも知らないのか。なあは知らないこと多すぎだよ。 「飼ってくれるひとがいなかったら処分ってこと」 「処分て?」 「う、えと、死なせちゃうの」 「そんなのヤダあ!」 世界の悲壮を掻き集めた顔でお腹にダイブしてきたなあをなんとか受け止める。ヤコ、ちょっと、もらい泣きとかしてないで。 「でもなあはお兄ちゃんと約束してきたよね、見せてもらうだけって。飼えないよって」 柔らかい栗色の髪を撫でながら、ゆっくり諭す。 「…………」 「だから、殺されちゃう仔がでないように、なあが飼い主を見つけてあげるのはどうかな」 その場しのぎで出てきた言葉だったけど、なあはぱっと顔を上げて「まお大好き!」と満面の笑みを浮かべた。隣でヤコが「なにそれあたしも欲しい……」と呟いてるのは無視した。
いつもニコニコして、だけど基本めんどくさがりのなあが、精力的にポスターや写真をお店のガラスに貼りだす。それを流れで手伝いながらあたし受験生だよなと途方に暮れる。でもまあ、そんななあの姿を見たお父さんが「市場にも連れて行ってやろうか」と言い出した。本当の市場は業者さんしかいないし仕入れが終わったらすぐ帰っちゃうけど、少し遅い時間からは一般のお客さん相手に小売りもするんだそうだ。遠くの人もいっぱい来るし、飼いたい人も現れるかもって。お父さんにしてはナイスな提案。かわいい孫にほだされたんだね。ただしそれ平日だから学校休まないといけないんですけど。 「う、まあ、舞生は優秀だし、1日くらい休んでも平気だろ。夏生なつきは……まあ、いまさらだしなあ……」 なあの成績は家族全員が頭抱える状態なのでお父さんは言葉を濁した。まあね、あたしがいつものようにがんばるしかないんだよね。すっかり板についた家庭教師役をさ。 ヤコにも説明して、翌々日の朝早く、ダンボール箱をふたつ受け取ってお父さんのトラックで市場に向かった。箱の中ではそれぞれ仔猫が5匹、仔犬が4匹落ち着かなげにぽよんぽよん転がる。車揺れるからね。でもこれが見てて飽きないので市場にはあっという間に着いた。仕入れに向かうお父さんと別れて、市場の入り口近くで時間をつぶす。おしっこの処理したり、ミルクをあげたり、なあは楽しそうだ。 お父さんの言っていた『一般の人が来る時間』になると、確かに歩く人の服装が変わった。そんな人にアピールするようになあが微笑んで声を上げる。まだ変声期前の男の子の声に振り向いた人たちは残らずロックオン、なあの笑顔が放さない。お店のお客さんにも振りまいていた『もらってくださいスマイル』にホンモノの赤ちゃん猫と犬だ。みんな「あああああ」と呻きながら撫でていく。なぜかなあも撫でられていく。詳しい説明を求められたらあたしがヤコ作のマニュアルを手に対応。そんなですぐに2時間が過ぎた。
迎えに来たお兄ちゃんのライトバンで、後部座席を倒して寝ころぶ。同じように寝そべったなあがふたつの箱をのぞき込んで呟いた。 「まだ残っちゃった」 「たくさんいたからね。ええと、仔猫は2匹、仔犬も2匹減ってあと5匹かあ……けっこういるなあ。仔猫はどっちも雄と」 「なんで?」 「んー、気性が荒くなるからって言われてるね。でもちゃんと去勢手術すればそんなにひどくならないって聞いたよ」 「おれ、手術代だす。そしたらもらってくれるかな」 「なあが? ムリムリ、高いんだよー、5万円くらいするんじゃない? 5匹分もなんてとても」 「大丈夫だよ」 「大丈夫じゃないよ、そんなお小遣いないでしょ。それとも前借りするの」 「違うよ、でもまおにはひみつ!」 「はいはい」 鼻息荒いなあは放っておいて考える。がんばってるなあを泣かせたくないけどどうしよう。
その後も配ったチラシやポスターからヤコんちにも貰い手が現れて、ラスト仔猫1匹まで持ち込んだ。なあの秘密作戦は撃沈だったようだ。ションボリして「ダメだって……」と落ち込んでいた。 サビ模様のうねる軟体を何度も何度も撫でて、なあの大きな目からは今にも涙が零れそうだ。ヤコのお父さんが設定したリミットは明日。 「ねえまお、このまま逃がしちゃダメなの?」 「うーん、まだ自分じゃエサが捕れないからカラスの餌かな」 「やだあ……」 甲高く細い鳴き声の仔猫に顔を埋めてなあも泣き声をあげる。ヤコがゴメンねと鼻をすする。ヤコのせいじゃない。 しょうがない、最後の手段だ。
翌日は日曜日。昨日の夜にお父さんに談判して手に入れた封筒を右手に、左手をなあとつないでヤコの家を訪れた。 「メーテルと南の避妊手術代を私と亜矢子、この仔の去勢代を夏生が出します。だから殺処分しないでください」 「おじさんおねがい!」 今まで貯金してたお年玉から手術代をひっぱりだしてきた。ヤコの分は実質ヤコ母だし、なあの分は、調べたら3万あれば足りるとわかったので肩代わりする。ちまちま貯めててよかった。 初めてなあを見たおじさんが戸惑ってるのがわかる。西欧系クォーターのかなりかわいい男の子の泣き顔に怯んでる。わかるわかる、こんな子にひどい人だなんて思われたくないよね。母親二頭の名付けはおじさんで、かわいがってるってヤコが言ってたし悪い人じゃないハズだ。 ―――しかも余所のこどもに8万円出させてって体裁悪いよね。 狙いは違わず、根負けしたおじさんは「そこまで覚悟したなら」と、お金は受け取らずに頷いてくれた。なあが飛びついたのでおじさんは赤面してオロオロ。気持ちはわかるけどあたしはちょっと目を逸らす。 ヤコも、なあに頬ずりされて満足そうだ。 「遊びにきたら撫でさしてくれる?」 「もちろん! おいでよ! 夏生くんなら大歓迎!」 「ヤコ? なあだけ? ……まあいいけどね」 サビ猫―――ヤコ父命名はらんま―――を撫でながらキラキラ輝くなあに満足する。なあにはやっぱり笑顔が似合う。できたての、ホントは甥っ子だけど、あたしの大事な《弟》。仔猫も仔犬もかわいいけど、いま世界で一番かわいいのはなあ。お姉ちゃんはがんばりますとも。
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「ペットショップ行く?」 まだ荷造りすら終わってないのに飽きたらしい、なあがそわそわと提案してくる。 「あたしたちはこっちでしょ」 放ったスマホが放物線を描いてなあの手元に収まる。画面を見たなあの笑みが深まった。 《ペットレスキュー 保健所から家族をお迎えしませんか》
fin.